なんでこんな自分やのに、生きてるんやろう。
そんなことばかり考えていた時期がある。鏡を見るのが嫌いで、写真なんて論外。
誰かと目を合わせるのも苦手で、自分の話をするたびに「どうせ、こんな私なんか…」と心の中でつぶやいてた。
誰かに褒められても、全部嘘に聞こえてた。
だって、自分がいちばん、自分のことを嫌ってたから。
でも、そんな私に本気で「好きや」と言ってくれる人が現れた。それが今の夫だった。
自分を好きになんて、なれるわけないと思ってた
「自分を好きにならなきゃ、誰かを好きになんてなれないよ」
よく聞く言葉だけど、そんなの、わかってるつもりだった。
でも、できないから苦しんでるのに。自分を認められない毎日は、息をするのも苦しかった。
過去の失敗、比べてばかりの自分、醜いと思っていた感情。全部が、自分を嫌う理由になっていた。
それでも、夫はそんな私に、いつも同じ言葉をくれた。
「ちゃぴのそのままが好きやで」「泣いてるときも、笑ってるときも、全部含めてちゃぴやから」
嘘やろって、最初は笑ってた。でも、何度も何度も、彼は言ってくれた。
「誰かが嫌いって思っても、俺は好き」「ちゃぴが自分を責めるときも、俺はちゃぴの味方でいるよ」
信じられないって思いながらも、心のどこかが、少しずつ温まっていった。
「好き」って言葉が、私を少しずつ変えていった
ある日、夫に「どうして私なんかを好きでいてくれるの?」と聞いたことがある。
彼は少しだけ考えて、こう言った。
「自分のことを嫌いな人って、傷ついてるだけやと思うんや。ちゃぴは、自分を守るために嫌ってきたんじゃない?」
「でも、その奥にある優しさとか、気づかいとか、そういうのが、俺は好きなんよ」
言葉に詰まった。そんなふうに、自分の内側を見ようとしたことがなかった。
優しさなんて、自分にはないと思ってた。
でも、夫がそう言うなら、もしかして…と、ほんの少しだけ信じたくなった。
夜、眠る前にふと考える。
「夫が好きな私って、どんな私だろう」「その私を、私も好きになってみてもいいのかな」って。
変わりたいと思えたのは、愛されてる実感だった
「私なんて、どうせ…」が口癖だったあの頃。
でも今は、ほんの少しだけ「私も悪くないかも」って思えるようになった。
人って、誰かにちゃんと愛されると、自分のことを愛する力が生まれるんだね。
完璧じゃないし、傷だらけだし、今でも自信がない日だってたくさんある。
でも、「こんな自分でも、好きって言ってくれる人がいる」。それだけで、前を向こうって思える。
夫の「好き」は、特別だった。
褒めるでも、慰めるでもなくて、ただ「君は君のままでいい」って肯定してくれる、そんな言葉だった。
人に好意を向けられて、変わりたい、そう思ったのは、はじめてだった。
自分のために、じゃない。彼の「好き」という気持ちを、大切にしたくて。
自分を愛することは、誰かの「好き」を受け取ることから始まる
きっと、いちばん難しいのは、自分を受け入れることだと思う。
「ここがダメだな」
「また失敗したな」
そうやって、自分を責めるのは簡単で、クセになってた。
でもね、誰かが「好きだよ」って言ってくれたときに、それをちゃんと受け取ることができたら、ほんの少しだけ、自分を見つめ直せる。
「そうか、そんな自分も、悪くないのかも」って。
私が変われたのは、夫のおかげ。でも、最終的に一歩を踏み出したのは、自分だったと思う。
夫の「好き」を、心の奥で信じてみようとした私。
そして、「そんな私を、私も好きになってみようかな」って、思えた私。
それが、今の私をつくっている。
自分を嫌いなままでも、誰かを信じてみることから始めていい

最後に、過去の私に言ってあげたい。
「自分を嫌いでも、大丈夫だよ」って。「そのままで、誰かに愛されることは、ちゃんとあるよ」って。
変わりたいと思っても、すぐには変われない。
でも、誰かの優しさや「好き」って言葉が、いつかあなたを助けてくれる。
だから、今すぐ自分を好きになれなくてもいい。
誰かが好きだと言ってくれたその自分を、少しずつ受け入れてみてほしい。
きっとその先に、あなた自身の「好き」が見つかるから。そしてそれは、人生をそっと照らしてくれる光になる。
あの頃、大嫌いだった自分を、今はちょっとだけ、愛しく思える。
それは全部、「好きだよ」って言ってくれた、あの人のおかげ。
そして、「そんなふうに愛してくれる人を、大切にしたい」と思えた私自身の、小さな一歩のおかげなんだと思う。
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